書家(書道家) 祥洲の墨の世界 _ 祥洲流_書の基本

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祥洲流 書の基本

 本稿は私が主宰する書塾(墨翔会)での教材用として書き下ろしたものです。簡単なガイド程度の内容ですが、皆様の練習に少しでもお役に立てれば幸いです。尚、本項は諸説様々ある事を踏まえた上であくまでも「祥洲流 書の基本」であり、詳細は私の講義の補足説明を前提としております。 (転載・引用はご遠慮ください) 

2014年晩秋 墨翔庵にて 祥洲 記


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書とは

書は筆墨硯紙を用い、文字を書くものであり、
実用性と芸術性を兼ね備えた表現である。

 文字はいわば人と人が意思疎通に使用するコミュニケーションツール。その原点は、遙か昔、地面に石や木を用いて「刻む」という行為にあると想像しています。しかし風が吹けば、雨が降れば、消えてしまったでしょう。のちに動物の骨や岩肌に刻むようになり保存性を持つようになります。この保存性を持ったことが最も重要な要素だと思っています。
 書は文字を書くものです。文字は当然、可読性を持ちます。私が、文字本来の約束を無視し極端な造形を加えた作品を嫌う理由はここにあります。抽象的な表現手段もあるわけですから、文字が文字でなくなるようにするならば、きっぱりと文字を捨ててしまえばいいのです。
 書き手が文字を書こうとしていること。この意識を持ち、文字が可読性を保てる範疇で、いわばその束縛の中であえて文字を書くのです。可読性に関しては、文字本来の造形に基づき多数の人々が認識できると言う意味だけではなく、例えばニジミなどで外形しか見えなくなっても書線とニジミがほんの少しでも判別できれば良いという考え方なども含みます。
 そしてこれらに加え、実用性と芸術性…用と美の両立は大変難しいことですが、書が生活の中に生き続けるためにも重要なことでしょう。また筆墨硯紙に関しては、現代の書における使用素材は多様化しています。私自身も筆墨硯紙以外の素材を用います。デジタル作品も制作します。しかし原点はやはり筆墨硯紙であると考えます。

と、ここまで書いておきながらですが…。

 そもそも私は表現のジャンルに縛られたくありません。かつて寺山修司さんは、あなたの職業は何ですか、と問われて、寺山修司です。と答えたそうです。私は自分のことを、書家、書道家、書人、祥洲です。などと言っていますが、本当は寺山修司さんのように答えたいと思っているのです。
 現代という時代の中で様々な新たな表現が生まれるべきです。祥洲語録のコーナーにも書いていますが、古典と呼ばれるものは、それが生まれ出た時代にとってみれば、それまでになかった新しい要素を持った革新的な書だったのです。そして多くの人々に連綿と受け継がれ、今日から見れば、古典と呼ばれるようになったのです。伝統は常に新しい感性を取り込みながら脈々と受け継がれるものであり、スタイルだけの伝承は形骸化するだけなのです。

伝統を継承することなく創造はありません。
そして創造することなく伝統の継承はありません。
※本サイト内のこちら(最下段)にて「伝統・継承・創造」をテーマにした映像作品を公開中です。

 書の伝統を学び、そして愛し、継承していく中で、自由な発想を大切に、ジャンル分けや定義付けに縛られることなく、新たな書のカタチを求めて欲しいと願います。表現は自由なのです。

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書を学ぶということ

 書家ならば基本的な古典や実用の美しい文字が書けて当たり前です。その上で研鑽を重ね、自らの表現を探求しているものです。しかし近年は書き手だけではなく、観る側にも本当の書の素晴らしさや難しさがわかる人が少なくなったと感じているのは私だけでしょうか。誰でも筆を持てば何かが書けます。多少練習すればそれなりの字が書けるでしょう。しかし真摯に書を学び続けていると大して何も書けていないことに気づく時が来ます。筆を持つ度に書けない自分を知るのです。書の基本練習は一生続くものです。1つの点を打つ、1本の線を引く、それだけでも学ぶことに終わりはありません。書の技術だけを偏重するつもりはありませんが、書の永き歴史の前では自惚れずいつも謙虚であれと思います。
 また、自由に楽しく書けばいいというような言葉も耳にします。その通りでしょう。しかし勝手に適当に書けばいいということではないはずです。私の教室ではもちろん自由に楽しく書いてくださっていますが、自由と勝手は違うことや、学ぶべきことはしっかり学ばねばならないこともお伝えしています。
 書を学ぶということは、個人それぞれに目的があるでしょうが、単に文字の形を美しく書くためだけではありません。勿論、美しく書けるようになることは重要ですが、それだけに終わるものではありません。古くから大切にされてきた精神性や作法の中で、墨を磨り、白い紙に筆を運ぶ・・・それは自分自身と向き合う時間となります。時流に流されず、古典(伝統)を基盤にした確かな実力を身につけられるように、学び続けて欲しいと思います。

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紙の命は一度限り

 私が最も大切にしていること。書は常に真剣勝負。紙の命は一度限りです。だから紙の命を粗末にしてはいけません。反古紙の山を築いて悦に入るのはどうかと思います。臨書練習するときも作品制作するときも一枚目がその時の自分の実力と思い、一枚で決める意識を常に持つべきでしょう。
 技法練習で何度も繰り返し練習するときは、私は墨ではなく水で書きます。何百何千何万回と練習するわけですから半紙の消費量は膨大になります。水書きなら半紙が薄くなって破れるまで何度も使えます。物を大切にする、そういう精神を貴びたいものです。

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書の作法

 飲食店に入ってコップに入った水をバンッと置かれたらどんな気持ちになりますか。水差しから硯へ水を注ぐ時や、墨の磨り方、筆に墨をつける時など様々なシーンで、なんて粗雑なのだろうと感じることがあります。書において書くという行為は紙の上で筆を動かしている時だけではなく、用具の準備に始まり、後片付けまでがすべて書くという行為に含まれていると考えたらどうでしょうか。
 書の作法に決まったカタチがあるわけではないでしょうが、ただ書くだけでもありません。作法を重んじることは大切です。

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文房四寳について学ぶ

 よく使う例え。フライパン1つがあれば料理は出来るかもしれません。しかし煮込み料理ではやはりお鍋があったほうがいいでしょう。道具にたくさんの種類があるのはそれに適した使い道があるからです。道店に行ってみると、多数の筆、墨、紙、硯が売られています。この中から自分が求めている表現に適した品を選び出すのは大変難しいことです。初学の頃は先生から薦めていただいた品でいいでしょうが、これだけで何年も学ぶのはフライパン1つで済ますのと同じです。自分で学ぶべきですが、先生に習っている場合はこんな風に書くにはどうすればよいかと申し出て教えを請うのも一つの方法です。もちろん先生はそれに答えられなければなりませんが。

 もう一つよく使う例え。オリンピックに出場する選手たちが使う用具。競技用のユニフォーム、ラケット、シューズ等は、近くのスポーツ用品店で適当に品選びをして買い求めているのでしょうか。自身の能力を最大限に生かせることが出来るように苦心していると思います。の場合は、筆師さんと何度も試行錯誤を繰り返し、穂首とのバランスを考えて筆管の長さや重さまで吟味し、試作から完成まで数年かがりということもあります。また作品制作で使用する墨は、煤を独自の配合で調合し、自らの手で練り上げて作ります。

 よき作品を生み出すためには、それに適した用具の選出がかかせません。書こうとする作品のイメージに対して、どのような筆で、どのような墨をどのような硯で磨り、どのような紙に書けばいいのか…を考えます。だから日頃から文房四寳(筆墨硯紙)について学ばねばならないのです。
 そして最後に。自用具はいつもきちんと取り扱いましょう。汚れたまま放っておくなど絶対にしてはいけません。自用具を愛してください。

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筆の使い方と種類

 筆は細い線から太い線まで無段階で表現出来る世界一の筆記用具です。筆によく使われる動物の毛は、馬、山羊、狸、イタチ、猫、鹿、豚などがあります。一般に羊毛筆と呼ばれるのは、くるくるの毛のひつじではなく山羊の毛です。動物以外に、竹、わら、シュロなどの植物を使用した筆もあります。また一度も散髪をしていない赤ちゃんの毛で作る胎毛筆というのもあります。中国製の筆は唐筆、日本製の筆は和筆と呼び、数種の毛を混ぜた筆を兼毫筆と言います。穂首の長さは、超長鋒、長鋒、中鋒、短鋒、超短鋒などに分かれ、筆の号数は数字が小さくなるほど、太く大きくなります。

 筆には穂首に使用する毛の種類による区別の他に、穂首が糊でまとめてある固め筆と広がっている捌き筆とがあります。固め筆は墨をつけたときの全体のフォルムはわかりますが毛の構成がわかりにくく、反対に捌き筆は中心部分までの毛の構成はわかりますが全体のフォルムがわかりにくくなります。私は特にはっきりとした目的がない限り、固め筆も一度は根元までおろして使います。毛の構成を確認し、その筆が持つ特性を最大限に生かしたいからです。固め筆の根元を残して使用する方法もありますが、穂首の長さを調整するためなら、最初から自分が使いたい穂首の長さの筆を使えばいいのではと思います。

 初心者の方が練習で使用する筆を選ぶとすれば、まずは「中鋒の兼毫(馬と山羊等の混合)筆」が無難でしょう。適度な柔らかさと堅さを兼ね備えているからです。しかし同じ中鋒で「馬毛のみ」と「羊毛のみ」の筆を持ち、例えば臨書するときに順に使ってみればその違いがわかり出すはずです。よく羊毛筆は書きにくいと聞きますが、それは筆が使えていないからです。書きにくいからといって使わなかったらいつまでも使えません。時間がかかっても練習に練習を重ね、克服すべきです。ま筆は表現によって区別しておくと良いでしょう。例えばハードタッチで一文字書を書く筆はどうしてもダメージを受けるからです。

 太筆は、使った後は根元中心に水で洗い、軽く水分をとってから直射日光が当たらない風通しの良い場所で軸についている紐でつるして乾かします。筆先に墨が固まってもそれは直りますが根元が固まってしまえば大変です。軸の直径より穂首の直径が太くなってしまったら本来の筆の調子はでません。小筆は反古紙などに水を含ませやさしく墨を拭き取ります。
 気に入った筆が見つかったらその筆の寿命を伸ばすために、少し贅沢ですが2本を同時に使い始める方法もあります。1本をフル回転で使用するとどうしても寿命が短くなります。2本あれば、例えば週ごとに使い分けることにより筆が休む時間が多くなり、軸の中までしっかり乾燥できることで寿命も長くなると言うわけです。

 持ち方は、指1本を前にする単鉤法や2本の双鉤法、回腕法などいろいろあります。初めは体格や机の高さによっても変わりますが筆管の中程から少し上で、単鉤法か双鉤法のいずれかを用い、肘を浮かせる懸腕法で書くのが良いでしょう。しかし何を書くのも同じというわけではありません。例えば筆圧を強めたいときは筆管をグーのように持つ握管法+懸腕法、仮名のような場合は単鉤法+手をほぼ下につけて書く提腕法などです。ともかくこうでなければならないと決めつけず、表現に適した持ち方をすればいいのです。
 私の場合、漢字は双鉤法の変形、仮名は単鉤法です。ドロッピング(墨をしたたらす)は単鉤法が多く、大作で強い点画が必要なときは両手持ちなども使用します。しかし書を習い始めた最初からではありません。例えばプロ野球選手の個性的なバッティングフォーム。少年の頃は一般的なフォームを習い、後に独自のフォームへと変化するように、練習や経験を積み上げていく過程で最も自分に合った持ち方を探りましょう。

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墨の使い方と種類

 磨った墨と墨液の違いから。墨液はインスタント食品のようなもの。大変便利ですが誰でも同じ味(色)になってしまいます。墨を磨るというのは謂わば家庭の味。その家によって味付けが異なるように個性のある味(色)です。近年の墨液は研究が進み作品に使用出来るレベルの品もありますが、出来れば墨は磨りたいものです。
 墨は原材料となる煤の種類やニカワの配合比率、採煙法などによって特徴が異なります。その中で大きく分けて油煙墨と松煙墨があります。一般的な墨で油煙墨とあるのは、菜種油煙の場合が多いでしょう。他にも椿油煙墨や石油系の鉱物油を使用している場合もあります。私は胡麻油煙墨をよく使用します。松煙墨は主に松脂を原料としています。薄めたときの青みが最大の魅力でしょう。
 日本製の墨を和墨、中国製の墨を唐墨と呼び、私は韓国製の墨なども使用します。また漢字用や仮名用と書いてある場合は粒子の大きさやニカワの配合料などが異なるということでしょうが、漢字用は漢字でしか使えないというわけではありません。
 古墨というものもあります。墨や紙は出来たてより年月を経た方が一般的に良くなると言われています。しかし元々の品質が悪い墨は年月がたつと更に悪くなりますから購入にはそれ相当の知識が必要です。初心者の方にとって古墨はどうしても必要な品ではありませんが、墨のことがわかり始めたら是非、挑戦してみてください。

 墨を磨るときに垂直に立てて磨る方法もありますが、私は手前に45度程度傾けて、時々、表裏を変えて磨り、墨の先がきれいなV字型を保つようにします。墨は水分を嫌います。垂直に立てて磨ると墨は常に水に触れています。V字型にして時々表裏を変えながら磨れば、片側は水に触れなくなり少しでも乾燥させることが出来るからです。V字型がきれいに作れない場合は、墨にかかる力が左右どちらかに偏っているからです。均等になるよう留意します。また決して力を加えすぎず、墨自らの重み程度で磨るようにします。
 硯に水差し(水滴)などで硯の中央から手前側にごく少量の水をたらし、最初はゆっくり小さな円を描くように磨り始めます。ニカワ成分が溶け出し粘性が増すと、少し大きな円へと広げていきます。しっかり練り込めたら硯のくぼんだ部分(海)へ落とします。一度落とした墨はそのままにしておきます。時々、再びすくい上げて磨っている方がありますが、墨の発色が悪くなってしまいます。この方法を繰り返し、濃くなった墨を海に溜めて、そこに水を加えて自分が望む濃度に調整します。薄くなりすぎたら残念ですがその墨を使い切って、最初からやり直します。また、最初から薄い墨が必要なときでも一度は濃く磨り、そこから薄めるようにします。
 使い終わったら反古紙などで水分を軽く拭き取り、しっかり乾燥してから桐箱に収納します。直射日光や大きな温度や湿度の変化は禁物です。また特別な意図がある場合やニカワを使用した一部の墨液を除き、磨った墨と墨液は混ぜないようにしましょう。また「祥洲自家製墨」のような墨作りに関しては作品制作時に講義にてご説明いたします。

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硯の使い方と種類

 硯はいわば砥石です。包丁は砥石で研げば良く切れるようになります。もちろん包丁自体も良き品で、砥石も上質で、研ぎ方も学ばねばなりません。包丁が墨で、砥石が硯、研ぎ方は墨の磨り方、と考えると分かりやすいかもしれません。さてこの硯には様々な種類があります。ここでは主に産地による種類を記します。中国製の硯(唐硯)には、端渓硯・歙州硯・澄泥硯・羅文硯などがあります。特に端渓硯と歙州硯は最高の硯としてよく知られ、羅文硯は小学生の書道セットなどによく使われてます。日本製の硯(和硯)には、雨畑硯・赤間硯・土佐硯などがあります。ちなみに私は、唐硯では渓硯の老坑や麻子坑、そして和硯では、初代一水作の中村硯(高知四万十市)を常用しています。
 これらの硯はそれぞれに特徴を持っています。その特徴を形成するのが鋒鋩です。いわば砥石の目のようなものです。端渓硯はこの鋒鋩が優れていますが、現在、入手しやすく比較的廉価な端渓硯は特に優れているとは言えません。端渓硯に限らずその特徴がはっきりわかるレベルの良質の硯は一般的に高価です。数十万円したとしても不思議ではありません。初学の頃はともかく、後に良き硯との出会いがあればグレードアップしたらいいと思います。硯は一生ものです。ですから書家を目指しているような方は頑張って最低でも一面は良き硯を持つようにしたいものです。

 硯の墨を磨る部分が陸(おか)、墨を溜めるくぼんだ部分が海。陸の部分を指で軽く撫でてみて、でこぼこを感じたり、ざらざらした感触をはっきり感じたりする硯はあまりよくありません。また墨の残りカスがこびりついているような状態は絶対に避けなければなりません。き墨色を得るには汚れは禁物。使う度にきれいに洗い、墨の汚れを残さないように心がけましょう。
 硯を洗う際には水を使います。お湯は温度によっては硯がひび割れを起こすこともありますから注意しましょう。た反古紙でごしごし墨をぬぐい取るのもやめましょう。先に述べたように硯はいわば砥石です。紙のカスが鋒鋩を埋めてしまうからです。洗い終わったらタオルなどの上で乾燥させてから片付けます。
 このように硯をきれいに保つことを心がけた上で、さらに墨を磨り出す前には数滴の水を陸の部分に指先で広げるようにします。これは硯に水分を与えることと、汚れがないかの確認のためです。もし指先が少しでも汚れたら直ぐにきれいに洗いましょう。

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紙の使い方と種類

 中国製の紙を唐紙、日本製の紙を和紙と言います。唐紙の代表格は中国画仙紙です。中国製の画仙紙を本画仙、日本製を和画仙とも言います。さてこの中国画仙紙にも様々な種類があります。その中でも厚みの違いは表現に大きく係わってきます。単宣、重単宣、夾宣、二層夾宣などの中からどの紙を使用するかで、同じ墨、同じ筆で同じように書いても書き上がりが違ってきます。その他、台湾製の紙(台湾画仙)や洋紙なども使用する事があります。これらの使用に関してのノウハウは作品制作時など具体的な事例と共に講義にてご説明いたします。
 画仙紙には、大画仙(約96×180cm/六尺画仙)、中画仙(約83×150cm/五尺画仙)、小画仙(約70×135cm/四尺画仙)などのサイズがあります。更に小画仙の全判を全紙(四尺全紙)、その縦半分を半切(条幅)、たて4分の1を聯、その残り4分の3を聯落ちと言います。
 また紙には機械漉きと手漉きがありますが出来れば手漉きがお薦めです。さらに元来の紙の品質や保存法にもよりますが、漉きたてよりも年月を経た紙の方が表現力は勝ります。
 練習用と清書用とを区別して練習する方が多いようですが、ある程度勉強が進んでくればその区別はなくしましょう。作品制作をするときも同じです。下書きのつもりで書いた作品が最もよかったということもあるわけですから。
 紙の命は一度限り。常に真剣勝負です。文房四寳の中で最も消費するであろう紙だからこそ、無駄にしないよう心がけるべきです。

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お手本に頼らない練習

 小学生の頃、写生会でどこかへ出かけた事があるでしょう。そこで君が見ている景色はこうだからと言って先生がみんなにお手本を描くでしょうか。学校でのお習字の経験か、その後の書塾での指導でもお手本に習いなさいという方法が当たり前のようになってしまっています。お手本を真似ることが悪いわけではありませんが、ずっとそれを続ける事はどうかと思います。私の書塾ではお手本も使用しますが、基本的に自分の眼で見て、自分で考えることを重視します。もちろん小学生のお習字もです。トメ・ハネ・ハライなどの決まりは教えますが、半紙にどのようにまとめるかは自分で考えさせるようにしています。天真爛漫な子供たちは本当に素晴らしい書を見せてくれます。しかし学年が上がるごとに文字の大小やバランスを考えるようになり、自分で修整しまとめ上げていくようになります。それが学ぶということだと思っています。お手本があればきちんと書けると言うのは本当に学んだことになりません。
 先生のお手本を真似るだけでは、そこに自分はいません。書の歴史の前では先生も生徒もそんなに変わらないはずです。ともかく自分の眼を高めること。先生はそのサポートをする役目であれ、と思います。

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暗譜(暗記)してみる

 私の書塾では私独自のカリキュラムでお稽古を進めています。その中には空間分割レッスン法や音楽の様々な要素を取り入れたレッスン法などがあります。音楽レッスン法の一つが暗譜(暗記)です。
 本稿をご覧の方で古典の臨書をする時、横に置いたお手本や本を見るために、幾度も首を左右に振りながら書いていませんか。出来れば事前に書こうとしている古典の特徴や造形を記憶するつもりでじっくり観察してみてください。首を振る回数が減れば上達のスピードも速くなります。音楽家は演奏会で譜面を前に置いていても、それを見なければ演奏できないのでしょうか。曲も覚えていなくて演奏に集中出来るのでしょうか。筆を持って書くだけが練習ではありません。時間を見つけて古典を眺めてください。そらで書いてみるだけでもいいのです。

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効果的な練習

 もし10枚書く時間があるのなら、書くのは半分の5枚だけ。残り5枚を書く時間は、1枚ごとに自分の書を分析してみてください。起筆や収筆、線の角度や長さなどなど、直すべき箇所を見つけるのです。そして自分の書いた1枚を土台にして、更にもう1枚書くことで練習効果は格段に向上します。書きっぱなしは半紙と時間の無駄遣いになり、練習成果も半減すると思って下さい。
 またこれとは逆に、どうしてもうまく書けない技術的な課題はたっぷりと時間をかけて、何十何百何千何万回と練習しなければなりません。
 質を追求する練習と、量を必要とする練習を使う分けることがポイントです。

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作品制作の前に

 作品を制作する時、多くの漢詩が集められている本などを見て、文字の格好が良いとか、書きやすそうなどの理由で、モチーフ(漢字や言葉など)を決めている方がいるかもしれません。しかもどのような形で書こうかばかり考えているかもしれません。
 作品制作において大切なのは、無限にあるとも言えるモチーフの中で、何故、自分はこれを書こうとしているのかということです。作品を制作するから急いでモチーフを探すのではなく、常日頃から心に響いた言葉や漢字などを自分の中で大切にとどめておくようにします。その場しのぎの借り物のようなモチーフで、本当に自分らしい作品が制作出来るかどうかです。

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私の書の歩み__クリックで開きます

本年2014年で、6歳から書を習い始めて50年、書で生計を立てるプロ書家としても37年目となりました。まだまだ書の道の入り口程度にやっと辿り着いた私ですが、今日まで書の道を歩こられたのも2人の師匠と、そして素晴らしい方々との出会いやご縁によるものです。

 6歳から19歳までの13年間、九成宮醴泉銘、孔子廟堂碑、書譜、鍾繇、高野切を得意としておられた苅和幽祥先生から徹底的にご指導いただけたことが今日の確かな基礎となっています。
また高校生の頃からは、苅和先生のお仕事の関係で月に一度程度は代稽古を担当。この経験が書家を志すきっかけになったのです。

 プロ書家としての基盤を作って下さったのは苅和先生の師匠でもある國川喜祥先生。苅和先生のご紹介により19歳で國川先生の直門下生となり、広津雲仙先生の墨滴会に所属、公募展活動始めました。同時にこれまでは理科系志望だったのですが、書家を志すならと立命館大学2部学部に入学。昼は書の修行、夜は大学。自塾「祥洲書院(現在は名称を変え墨翔会/京都教室)」開塾するも近所の子供たちが数人集まってくれただけ。学費や書にかかる費用は学習塾の講師料で捻出するというほとんど休みのない生活を始めました。教職課程もとりながら4年間で書家の道にメドがつかなかったら教員試験を受験すると決めていたのです。

 國川先生には、主に張瑞図・倪元璐・王鐸・傅山・黄庭堅・張猛龍・鄭道昭・乙瑛碑・などなど、そして基本的な篆隷楷行草書体をご指導いただきました。國川先生のお側で学び、展・団体展・全国規模の公募展(日展には当初より不出品)などで40回以上も入選入賞させてただき、理事・常任委員・審査員などにもご推挙いただきました。1987年(28歳)には國川先生が日中書法交流団日本団長を務められ、総勢4名という狭い枠の中に加えていただき訪中。この訪中は後の私の人生を大きく変えます。中国黒龍江省美術館主催の個展(2001)などで尽力してくださることとなる今や親友である高潤生先生、洪鐵軍先生、王立民先生らとの出会いが生まれたのです。國川先生には数え切れない本当に多くのご恩があります。

 しかし入門後数年(1980年頃)して、偶然、京都の朝日画廊で井上有一展を観て比田井南谷に始まる現代の書の潮流を知り、自分もやってみたいという想いを持ち始めます。また日展を頂点する日本の書道界の中で生きていくことに疑問を抱き始めていました。書道界が問題だというのではありません。本当は書が大好きでこの道を志したのに、いつの間にか賞を獲って出世することばかりにやっきになっている自分の姿に、です。もう一度、書が好きだから書きたいという気持ちに戻ろうと決意させてくれたのは、訪中時に尋ねた学校で懸命に書いている子供たちの姿や中国の書家たちと合作したときの楽しさでした。

 訪中後少したったある日、私は破門を覚悟して自由に活動してみたいと國川先生に切り出しました。今日であれば団体に属していながら個人的な発表活動をすることも出来るでしょうが、当時はそうはいかなかったものです。少なくとも私はそう考えていました。なのに國川先生は「やってみればいいよ。大海の波に揺られても大丈夫なように根っこはここに置いておきなさい。」と言ってご許可下さいました。

 一人になったことは自分で決めたこと。後悔はしませんでしたが、独学の道は苦しさばかり。
新たな古典に取り組んでも、まったく書けない。現代的な表現…例えば抽象表現などどうすればいいのか見当もつかない。美術の専門教育を受けたことがないので用具用材の知識もないわけです。闇雲に書くばかりの日々で、経済的にも苦しさが増すばかり。ともかくこれまでに習ったことを焼き直しながら、中国での国際展に出展。書の母なる国、中国で伝統的表現を試しながら、独自の表現を模索しました。
独学で多くの知識を得るためには本を読むしかない。書道関連の書店として知られる京都「文苑堂」さんに通い詰め、お金が出来たら必ず私が購入する約束で取り置いてもらった本を並べられる専用の棚まで作ってもらいました。家内や二人の子供のためにも弱音は吐けない、とにかく猛勉強するしかなかったのです。

 この頃の恩人が川奈部尚石先生と森朋石先生。川奈部先生は、中野越南・園田湖城・日比野鳳・木村陽山・秋山公道・森田緑山らと共に京都書壇の重鎮。川奈部先生が私の父の友人の親せきだったこともあり、自宅にもひょっこり尋ねて下さったりもしました。そんなご縁があり、式に師事はしていませんが10代の頃からずっとアドバイスをしていただきました。
 また、川奈部先生の直門下生であった森朋石先生は、私の最初の師匠、苅和先生との交流もりました。苅和先生そして森先生、そして諸先輩先生らと共に、川奈部先生の御支援も得て新たな競書雑誌(1985)を立ち上げ、創刊号から7年間、森先生と共に編集を担当させていただきまた。そして1992年には、私自身が理想とする書指導を実践する基盤となる会報誌「翔Sho」を単創刊。2014年現在、創刊22年、隔月刊として刊行を続けています。


 なかなか結果がでなかった中国での国際展も、私の2人の子供の胎毛筆を使った表現で徐々に評価をいただくようになりました。1990年、中国全土の大規模な書展「中国国際書法篆刻芸術博覧会」で念願の第一席金賞を受賞。その後、「碑帖臨書鑑賞」(1996)では当時の中国書法家協会主席 : 沈鵬先生、副主席 : 王学仲先生についで掲載され、巻頭寄文「伝統と創造」を執筆、様々な中国での国際展の顧問や審査員として日中の書法交流のお手伝いをさせていただけるようにもなりました。

 この頃、独学にもやっと自分自身の方法論が出来上がり始めていました。またこの頃から墨の製造法に着目。奈良の墨職人さんを訪ね、墨の製造過程を学びました。そして独自の煤の配合と製法による「祥洲自家製墨」を開発。当時の自塾一般部メンバー皆さんが出展作品を買い上げるという資金援助をいただき、「祥洲自家製墨」による新たな墨美表現を世に問う念願の初個展「裸の断片」(1992)を開催することが出来たのです。

 國川先生、川奈部先生も御来廊下さったこの初個展は、幸運にも大きな反響を呼びました。は書に関係する情報源は雑誌「墨」だったのですが、その「墨」の編集長だった宗像克元氏作をご評価くださり、初個展の紹介記事や巻頭特集、作品集出版など今日までずっとご支援くさっています。宗像氏との出会いがなければ今の私はいなかったかもしれません。

 この1990年代にもう1人の恩人とのご縁が生まれました。江口草玄先生と今岡徳夫先生(墨人)にご紹介いただいた、「東西美術史」などの著書でも知られる京都教育大学名誉教授の中村柄先生。初めてお目にかかって以来、二柄先生とのご縁は深まり続けました。二柄先生ご一すると決まって現代書の講義。二柄先生の問いに答えられないと何を学べば良いかを、た私自分の考えを話すと問題点をご指摘くださり、それは二柄先生に学ぶ研究生ようでした。

 私は当時、急速に普及し始めたパソコンやホームページ開設などに取り組んでいました。書家でデジタル作品を発表する人は殆どいない中、二柄先生は度々作品を見てご批評くださり、作品発表の機会まで作ってくださいました。二柄先生のご指導により書理論の重要性を学べたこと、先生の著書「墨象-現代の書表現-」の編集お手伝いを江口草玄先生と共にさせていただけたこと掛け替えのない経験となっています。

 京都でばかり活動していた私に、東京での展覧会開催のきっかけを作って下さった華人の中川幸夫先生と写真家の高島史於氏と奥様、牧井優氏などなど、まだまだご恩のある方は数多いのですが、最後に、信州新町美術館初代館長、関崎房太郎先生の存在。
 メールなどのない時代、手紙を書くことの重要性と、書に最も大切なのは人(心)であることを初めて私に説いてくださった方です。私からは母方の遠縁にあたるのですが、美術館作品はもちろん、関崎先生所蔵の明治以降の名筆の数々や、青山杉雨・宮本竹渓ら関崎先生と親交があった巨匠の作品や人柄を教えてくださいました。
 またこれらの大切な所蔵品の幾つかはいつでも手元に置いて勉強できるようにと、私の入賞や結婚など晴れの日の度にお祝いとして贈って下さいました。特に西川寧・青山杉雨、両巨匠の作品は私の筆法研究の糧となり、今も度々、臨書しています。
(文中一部敬称を略させていただきました) 
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 まだまだ勉強不足の私には苅和先先、國川先生のような素晴らしい書が書けません。今改めて教えていただきたいことが山ほどあるのに、書の道の遙か彼方を歩まれていたその姿を残して逝去されてしまいました。そして川奈部先生、森先生、二柄先生、関崎先生も・・・。残念で仕方ありません。
 私は一生をかけても師には追いつけそうにありませんが、これまでのご恩に感謝し、教えを受け継ぎ、次世代へと伝えていくことは、アーティストとして新たな表現に向かい続けることと共に、私が生かされている理由だと思っています。

 現在、私の教室には毎週多くの人々が集まってくださり、共に書の勉強に励んでいます。天真爛漫な清らかな心を持つ子供たちから80代のベテランメンバーまで、またテレビやイベントなどでも活躍する若きメンバーたちもいます。この素晴らしきメンバーたちと共にこれからも書の道を歩み続けたいものです。

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